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長野県伊那谷発信の写真ブログ
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GELATIN SILVER SESSION -21世紀の銀塩写真-

20110521.jpg

久しぶりに写真の話。

先日、軽井沢のハルニレテラス内のBOOKS&CAFEで読書していた際に、面白い本がありました。それは「GELATIN SILVER SESSION -21世紀の銀塩写真-」という本。本といっても写真集のような本なんですが、これがもうドストライクな内容。

銀塩を残そうとする写真家達の活動本で、平間 至さん、M. HASUIさん、蜷川実花さん、瀧本幹也さん、辻 佐織さん、本城直季さん、若木信吾さんなど著名な写真家達が名を連ねています。

この本では、それぞれの写真家の写真を見ることが出来るんですが、それ以外にフィルムの現像についてやラボの利用についてなど、けっこう面白い記事満載でした。その中でも私が一番興味を惹かれたのが、プロの写真家のネガを他の写真家がプリントしてみるという企画。 同じネガを使っているのに仕上がりはもう写真家によって全然違います。どう表現するかで同じネガからこうも違うのかと思うと、フィルムといえども表現は自由なんだなぁとなんだかわくわくする思いがしました。

私が写真を始めたのは、フィルムからでした。それは単純なカメラへの魅力と、綺麗な風景をいつでも見られるように残しておきたいという思いが主でしたが、年月が経つにつれ、記録から表現へと目的が変わっていき、こと表現という事に関してフィルムであるが故の不自由さを感じていきました。

そのまま自然な流れでデジタルに移行しましたが、表現は無限で、ありとあらゆることが出来るようになりました。その場所には存在しない色を付けることもできるし、不要なものをまるで元々無かったかのように消すこともできます。ノイズを目立たなくすることや、逆にノイズをのせる事も出来ます。フィルムでもスキャンしてデータ化してしまえば同じ事ができるので同じと言えば同じなんですが、デジタルカメラはそれをより身近に、手軽にできるようにしたということが一番のポイントだと思います。

ただ、なんでもできるからこそ、どこでセーブをかけるかといった見極めが大切になってきます。作り上げたいものが、手段としてカメラを使うアートだとしたら表現は無限です。ただ、アートという枠の中の写真というジャンルならば、やっぱり"写真"は"写真"であるべきだと思う。

フィルム写真の魅力のひとつに、作り上げていく工程があると思います。
暗室作業は、基本自分の手で物を作りたいアナログ人間の私にとって非常に魅力的です。いつかはフィルムに戻って暗室で自分で印画紙に焼いてみたい、いつになるかは分かりませんがいつかはやりたいと今でも思っています。

ゼラチンシルバーセッション」は銀塩写真でしか表現できない写真の楽しさ、面白さを広く知ってもらうことにより、次の世代のためにも銀塩写真技術や機材、フィルム、印画紙等を守っていく思いを繋げていくプロジェクトです。

フィルムにはフィルムの、デジタルにはデジタルの良さがあります。10年後、20年後、フィルムが無くなっていたなんて話、もしかしたら嘘ではない現実のものとしてありえるかもしれません。


そんな事を考えながら、フィルムカメラ、また引っ張り出してみようかなという気になっている。後々そんな気になった時にフィルムがなくなっていないよう祈りながら。
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