もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとはとうめいな軌道をすすむ
宮沢賢治詩集 『 春と修羅 ~小岩井農場 パート九~ 』より
この詩は、私にとって宮沢賢治の詩の中でも、特別な詩です。
多分一番反芻したであろう言葉。
すこし話を変えます。
私が好きな漫画、藤田和日郎先生の「からくりサーカス」の中の話。
この漫画の中で、自分で考え自分で行動できる自動人形の老人が主人公の人間の少年にこう問います。
「人間はなぜ群れたがるのか」
この問いに対して少年は、「人は弱い、だから群れることでお互いを補い、助け合いながら輪を作っていく。そうしながら進化してきた」、たしかそんな風に答えたと思います。
それを聞いた自動人形の老人は、昔、人間のふりをしながら生活していた時に少女から買った小さなスズランに、寄り添う人間の姿を重ね、本当は人間の輪の中に入りたかった自分の心に気づく。
この話の通り、人は社会で生きていく以上、なにかに属しながら生活をしています。お互い助け合ったり、協力しながら。
ここで最初の詩に戻ります。
私が日頃思うのが、なにかに属することに慣れて安心してはいけないな、という事。例えばそれが会社とした場合、その環境や状況に安心して身を任せているようではいかんなぁと思うわけです。
無理矢理に反抗する必要もないですが、ずっと同じ状況にいると、周りが見えなくなってくる。自分の価値観や、自分の中でのルール、大きく言うならば信念のようなものが薄くなってくるような気がする。それはひとえに私の弱さなのでしょう。しかし、それにどっぷり浸かって自分の中の違和感に気付かなくなってしまったら怖いな、そう思います。
周りに合わせることを繰り返していく内に、馴れ合いや諦めに染まってしまう気がする。「しょうがない」そんな言葉を聞く度に、すごく嫌な思いがします。井の中の蛙、とはよくいったもので、気付いた時に手遅れなんて悲しすぎます。もっと大きな世界や考え方を知りたい。
そんな中での上記の詩です。
輪の中にどっぷり浸かってしまいそうな日々の中で、
心だけは自分にまっすぐでありたい、そう切に思う。
孤独は人を成長させるといいます。
第三者の目で自分自身を見つめる時間が必要なのだと思います。
そして輪の中で生きながらも、個として生きていける強さもまた必要なのだと思う。
そんな事をこの年の瀬、多忙の中、繰り返し思うのでした。
そんな最近。
そういえば、友人が今勤めている会社をやめ、新しい道を歩き始めるようです。
私には家庭があるのでなかなかそういう行動にはでれませんが、そんな友人が無責任ですがうらやましく思います。
彼のこれからに対して、できる限りの協力と応援をしたい。
そんなこんなで、今年もあとわずか。
しっかり今年の反省をして、来年を迎えたいと思います。
…その前に初の家族4人でのクリスマス、楽しみ。