剣岳と対峙することは、虚飾やエゴをぬぐい捨てた正真正銘の自分がいる必要がある。
それを感じるのは、恐怖感と期待感が交錯するナイフエッジに立ったときなどだ。
一つ間違えれば、数百メートル谷底へ滑落する。
しかしながら、寒さの震えではない。恐怖感の震えでもない。
何か普段の生活にはない挑戦への震えを実感するのだ。
充実感と挑戦は、二つの円の微かに交わる空間のような気がする。
そこにこそ美があるのではないか。
剣の美は、まさしくそれだ。
その時々の表情を撮ってはいるのだが、そこに内包される自我を見つけているのではないだろうか。
人間がつくった社会構造など通用しない。
勝手な解釈もハッタリも利かない。
心の底から発したエネルギーしか通用しないのだ。
それは、成すべきことを失った人間に強烈に訴えかける自然のエネルギーだ。
なぜ山に登るのか、なぜ敢えて厳しい山に挑むのか、そして、なぜ彷徨するのか、
その答えを導き出す糸口がここにはある。
ある本に「人間、くよくよしたって始まらない。人生は実験なんだから」という一節があった。
トライするということは、美しい。
羨望に始まり、冒険へと続く。
冒険はやがて思想となって人生を創造してゆくことになるだろう。
剣岳は、まさしく冒険の山である。
「日本の山と渓谷シリーズ 17 剣岳」 畠山 高著
仕事の関係上、資料として読んでいた本(写真集)のあとがきにあった一節。
著者は山岳写真家、一流の登山家でもあります。
この一節を読んで山に対するイメージが変わった。
今までなかった、山への憧れのような感情が湧きました。
一度は名峰と呼ばれる山に登ってみたい。
(中学時代に西駒ヶ岳登山はしましたがあまり記憶にない…)
まず手始めに、駒ヶ岳ロープウェイを利用して千畳敷かな。
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