春に
この気もちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる
この気もちはなんだろう
枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする
この気もちはなんだろう
あの空の青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい
あしたとあさってが一度にくるといい
ぼくはもどかしい
地平線のかなたへと歩きつづけたい
そのくせこの草の上でじっとしていたい
大声でだれかを呼びたい
そのくせひとりで黙っていたい
この気もちはなんだろう
谷川俊太郎さんのすごく好きな詩のひとつです。
今2歳半の娘も段々自我を持ってきて自己主張をするようになってきました。
最近子育てをしていて思うのが、あれがしたい、これが見たい、あそこへ行きたい…そんな娘の純粋な興味を大人の都合で断ってしまったらいけないなと。
娘もいずれ大きくなって、この詩のように子供から大人になる瞬間を迎えます。
それまでの期間というのは本当に多感で、過ぎてしまえば二度と取り戻すことの出来ない時間です。なるべく子供のやりたいことや興味を持ったことをやらせてあげたい。
そんな事を考えながら、自分の少年時代はどうだったか思い出してみても、もう当時のような感情は失われ、漠然とした記憶しかないのが残念でしかたありません。
この詩はまさに”春”です。
新しい季節になにか無性にわくわくし木々の芽吹きに心躍る、ただそれとは別に大きく変わらなければいけないという相反した気持ちも沸き上がる。
この詩を思い出し、娘の将来を考え、
もっと私が成長しなければいけないなと思うのでした。