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長野県伊那谷発信の写真ブログ
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最近、我が家にとって大きな出来事があった。 妻の昔からの友人がマルチ商法にはまってしまったんです。それだけ聞けば別に良いじゃんと思うかも知れませんが、当然の事ながら会員になれと勧誘してくる。商品の購入も勧めてくるんですが、その商品が猛烈に高い。何十万だと平気で言ってくるが、買えるわけない。そもそも会員になる気もない。余り詳しく書くのもどうかと思うので書きませんが、とにかくその友人、人が変わってしまったんです。 その友人は妻の幼なじみとも言えるような間柄で、ずっと家族ぐるみで付き合いがありました。私たちの結婚式の時ももちろん招待しました。大切な友人だったんです。そんな友人が、えらい剣幕であれ買えだの会員になれだの言ってくるわけです。その友人の中では、自分の大切な人には幸せになってもらいたい、そういう一心でいっている様子。たしかにその友人はお金がすごく稼げているらしく年収1000万とも言っていました。だから私たちにもそれを紹介し、幸せになってもらいたいというのがその友人の意見。 ただ、私にはなぜかそういった類の話に対して拒絶にも似た反発心があり、そんなもんで稼ぐくらいなら一生貧乏で良いとさえ思うような人間なんです。いまさらマルチのシステムについてこの場で説明はしませんが、楽して金が稼げるなら人間苦労しないで生きていけます。ただきっとまともな人間にはなれないでしょう。苦労は美徳とまでは言いませんが、苦労はあって然るべき、そう思っているような人間。逆にあまりに人生うまくいきすぎると、その反動でとてつもない嫌な出来事が起こるんじゃないかと心底心配になってしまうような小心者です。人生山あれば谷あり、自分の生き方くらい自分で選びたい。 当たり前のように話は平行線のまま。結局、疎遠となってしまったんです。 その友人の話の中でよくでてきた「いっぱいお金を稼ぎ、幸せになろう」という言葉。幸せっていったいなんなのでしょうか。お金があれば幸せなんでしょうか。幸せの価値観なんて人それぞれだから、お金があっても幸せじゃない人だっているしお金がなくても幸せな人はいる。 そんな事を考えていたら、我が家はお金はないけど幸せなのかも知れないな、ふとそう思いました。その友人ともまた仲良くいられる日が来ればいい、きっと時が解決してくれる、今はそんな風に思います。 話は変わって、今週末は義母とステーキハンバーグ&サラダバー けんに食事に行く予定。すごく楽しみ。案外そんなことで幸せを感じられる私は、すごく幸せ者なのかも知れません。 今日、11月9日でこのホームページを開設してちょうど1年経ちました。 (ブログ自体は後から設置したので11月17日になってます) 上の写真は、去年初めて記事を書いた時に載せた写真を撮った場所で今年撮った写真。今年も先日撮りに行ってきましたが、去年と変わらず綺麗な紅葉を見せてくれました。それ同様、私の写真に対する思いも変わらず。初めてカメラを買った高校生の時からもう10年近く経ちます。始めた当初思った、「波はあれどきっと一生写真を続けていくんだろうな」という思いは今でも変わっていません。 今こうやって一年振り返ってみると、あっという間。 時間の経過って本当に早い。ふと気付いたときに何か尺度になる物がないとそのままおじいさんになっていそうです。そういった意味で節目節目に自分懐古できるきっかけにもなるし、やっていてよかった、そう思います。 なにより誰かが記事を読んでいてくれたりコメントをくれることがうれしくてやっているような気もします。良いだの悪いだのどうでもいいだの、なにかしらちゃちゃ入れてくれるとそれだけでうれしいです。 フォトギャラリーにしても、今現在2人で公開出来ている事に感謝。 稚拙ながらも、3ヶ月ごときっちりと公開出来ていることはありがたいです。 ゆくゆくはもっと参加する人が増え、一つのテーマのもと色々な表現の形を見られる場になればいいな、なんて勝手に思っています。 技術的、表現的にもまだまだ稚拙で、自分の思うものを100%形にする事ができなかったり、考えが足りず安易なものが出来てしまったり、足りないことばかりではあります。でも足りないと思うことや、もっとこうすればいいんじゃないかと考えるきっかけを作る為のフォトギャラリーでもあると思っているので、足りないながらも真剣に考える事を楽しみながら続けていきたいと思います。 なにより最高の趣味なんだから、楽しみながら続けていくことが一番。 あくまでマイペースですが、これからもお付き合いいただけたら幸いです。 久しぶりに諏訪湖へ行ってみました。 いろいろと行くところがあったので実際に諏訪湖に着いたのはちょうど日没。 辺りはかなり暗くなってましたが、対岸のライトが綺麗でちょうどいいタイミングだったかな。 学生だったころはよく帰省中友人と深夜に立石公園へ行って話をしたな、なんてちょっと回想してみたり。男の友人が4〜5人で夜の立石公園なんて今思えばよく行けたよなぁ、周りのカップルにはさぞ迷惑だったことだと思います。 そんな私も今や一時の父親、妻と娘を連れて諏訪湖で散歩しているなんて、その当時からしたら想像すらしていなかった。まあそんなしんみり回想するほど人生生きていないヒヨッコだし、ただひたすら今を一生懸命生きる、それに尽きます。 まだまだ頑張らないとなぁ。 そんな事を思わせてくれる、諏訪湖の寒空でしたとさ。 最近の友人とのメールでのやりとりから。 文学とか映画とか音楽とか絵とか、そういったアートなものっていわゆるオタクとかインテリのような人たちがいちいち複雑化して、自分たちだけがそれをわかっているかのように話しているような気がする。そういうコミュニティができあがっちゃってるのかもしれないけど、それってすごく残念な事。 本当に素晴らしいものって、経歴や地位みたいなもので判断されるべきじゃない。本当に素晴らしいものって、それを見たり聴いたりしたときに純粋に感動する。説明なんていらない。そういうもののことだと思います。 今の世の中、テレビやインターネットが氾濫し情報が溢れかえっている。誰かの展覧会に行こうと思っても、必ずそれについての評価やコメントがある。事前にそういった情報が頭の中に入り込んじゃって、イメージが出来上がってしまう。作品に対するライターの評価を読んで、まだ聴いてもいないのになんだかその作品を分かったような気になってしまう。 そういったものすべて無視して、純粋に自分の価値観で作品を評価できる環境がなかなかないのかも知れない。でも見たこともない誰かの基準より自分自身の基準で判断したい。 本物っていうのは、頭で考えるものではなく、心で感じるもの。 なにが素晴らしいのか判断する基準は自分自身。 肝に銘じておきたい。 ちなみにその友人曰く、「10代の少年が観るアダルトビデオはアートに成り得る」そうです。 | ブログ内検索
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